●歴史に残る珍しい瓦
■日本最古の瓦
朝鮮から渡来した瓦博士が造った飛鳥寺(法興寺)の
創建瓦は昭和31〜32年の発掘調査で発見されている。飛鳥寺は蘇我馬子の発願により建立され、
一つの塔と三つの金堂よりなる伽藍配置だったという。
この時の瓦の製造は、飛鳥寺から約75m離れた小高い丘に作られた登り窯であり、
これがわが国最古の瓦屋(がおく=瓦製造工場)であったと言われている。
■瑠璃色の瓦
767年、平城京東院の玉殿に瑠璃の瓦を葺いたという記事が「続日本紀」にあり、
今世紀になってから始まった平城京の発掘調査では、実際にその東院から
唐三彩をまねた三彩瓦や緑釉を施した瓦が出土している。古代人の色彩感覚は
我々が想像する以上に情熱的だったのかも知れない。
そういえば古代ギリシャのパルテノン神殿はすべて原色が塗り施されていたという説もある。
しかも屋根は同じ瓦葺だった。
■行基瓦
奈良時代に僧行基が考案したといわれる瓦で、遺構としては奈良の元興寺極楽坊本堂と
禅室の一部があげられる。形はスペイン瓦に似たユニークなものだったが、
全国でも例は少なく一般には普及しなかったようである。本瓦よりも製法が簡単であるのに
普及しなかったのは、形が日本人好みではなかったせいであるとも言われている。
■黄金の瓦
織田信長は、1576年に安土城を築くさい、金箔を貼った瓦の製作を、
明(当時の中国)人一観に命じた。彼は、瓦を造るときに木型と粘土との間に雲母粉(きらこ)
を使って粘土をはがし易くする技術と、いぶして焼く方法をもたらし、
わが国の瓦の製造技術を飛躍的に進展させた。安土城は、完成後4年目で失火により
全焼したので当時の有り様は詳細にはわからないが、出土品から推察すると金箔を貼った瓦は
主として軒瓦などの役瓦だけであったらしい。
■日本型スペイン瓦
スペイン瓦は上瓦と下瓦に分かれている。大正の末にスペイン瓦の流行に刺激されて
愛知県の三河地方で造られた瓦は、上瓦と下瓦を一体化させた。
S字型をしているところからS型瓦と呼ばれる。
■ジェラール瓦
明治初年にフランス人ジェラールは、洋風建築に使う瓦の需要を見越して
横浜でフランス瓦の製造を始めた。彼は明治政府の雇ったお抱え外国人のひとりであったが、
先駆的に機械力を使う近代設備を持った製瓦工場を作った。
わが国の一般の瓦業者が近代設備を導入するのは、ジェラールに遅れること50年経ってからである。
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